呼魂太鼓

呼魂太鼓は千葉県柏市を中心に活動をしている和太鼓集団です

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「チェコ&スロバキアレポート」(2001.6.11~6.20)

「チェコ&スロバキアレポート」(2001.6.11~6.20)

6月11日~20日まで、成田楽友協会の依頼で成田楽友協会合唱団・日本航空グ ループ合唱団フロイデと共にチェコ&スロバキア演奏旅行に行ってきました。「成田 山賛歌」の太鼓と自作の独奏曲「雷槌」を演奏するためです。成田山には1050周 年祭1060周年祭と呼んでいただき、2年前には、やはり成田楽友協会の要請で フィンランドへ連れて行っていただきました。その繋がりで今回はチェコ&スロバキ アとなったわけです。書き始めると沢山有りすぎて困ってしまうのですが、出来るだ け簡潔にまとめて見ようと思います。


<雨上がりのプラハ>
アムステルダム経由で成田から15時間40分、雨に濡れたプラハの空港に到着。 1週間前までは猛暑で、この1週間は雨だったそうだ。飛行機を降りた時は、もう雨 は上がっていた。「ついている」というよりは世界的な異常気象が気になった。


<しんどかったステージ>
プラハで1泊。市内観光では世界最古の石橋と言われるカレル橋(写真 ①②)などを観光する。翌日はバスでウスティへ。このホテルが(写真 ③)面白かった。共産圏時代の名残を感じさせる造りで、観光客よりビジネス客 の方が多いのだろう、質素な部屋にシャワーとトイレだけ(バスは無し)。エレベー ターは、木製の扉をドアのように手で開かないと乗り降りできない。(写真が無いのが 残念。手に入ったら掲載します。)さて、いよいよリハーサル。初めての指揮者とオーケストラ。変拍子の所で狂っ た。しかし何事も無かった様に先へ進む指揮者。指揮者の英語もうまく聞き取れな い。「いやな予感」。翌日、タンホイザー城見学。前日のリハの事が頭を離れない。今日はテプリチェ劇 場で本番だ。なんとか本番はやり過ごしたものの、ソロのリハを殆んど出来ず、本番 では変な響きに包まれて、自分の音が聞き取れない状態での演奏となった。

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写真①カレル橋(パンフより)

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写真②カレル橋の上から

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写真③ホテルの前で

<カルロビ>
翌日はカルロビ観光。焼肉ではない。モーツァルトもたびたび訪れたと言う有名な 温泉保養地だ。温泉と言っても入る温泉ではなく、飲む温泉。日本人なら絶対に入る と思うが、ここでは特製の器で温泉を飲みながら歩くのが正しい。器も、持ち手がス トローを兼ねるという特許モノ(写真④)。この地方の土で焼いた物は、土中に 含む鉄分で自然に綺麗なピンク色になる。町の真中を川が流れ(写真⑤)、気候 もちょうど良い。散歩のために造られたコロナーダが至る所にあるが、カルロビで一 番美しいと言われるムリーンスカー・コロナーダの前の広場ではパフォーマンスが行 われていた(写真⑥)。実はこの写真、人ごみで見えなかったので、手を上に いっぱいに伸ばして撮影した物で、実際には人の頭の間からチラチラと見えただけ だった。しばしの安らぎだが、できれば演奏を全部終えた後で2,3日ゆっくりした いところだ

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写真④カルロヴィの温泉カップ
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写真⑤市内を流れるテプラー川
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写真⑥ムリーンスカー・コロナーダ前で


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写真⑦演奏会パンフレット
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写真⑧ウスティ劇場との契約書
<また変な響きに包まれる>
翌日はウスティで本番(写真⑦)。しかし、なんとこんな所で花粉症が出てし まった。向こうは白樺花粉症のシーズンだったのである。薬を分けてもらったが、こ の薬が良く効いた。効きすぎて喉が渇き、本番中は喉が引っ付き窒息するかと思っ た。またもや変な響きに包まれる。後で分かったことだが、ティンパニー奏者が楽器 の上にマフ(音消し)を置いていなかったのだ。まさかとは思ったが、信じられない ! 変な響きの犯人はティンパニーの共鳴だった!!


<初体験>
色々な意味で大変なステージだったが、貴重な体験をさせてもらった。劇場は私を ソリストとして呼んだということで契約書(写真⑧)を交わし、出演料を頂いた のだ。日本円で約4万円(「雷槌」2回分と言うことか)。源泉徴収で25%引かれ て手取り3万円(外国で1万円も税金を払ってしまった)。安い!と思われるかもし れないが、物価が日本の5分の1か6分の1というこの地域では、半月は遊んで暮ら せるくらいの額なのだ。この夜、外貨でギャラをもらった記念にという訳ではない が、一杯やろうと団長やソリストやスタッフに声を掛けた。なぜか外に出ると10人 もいるではないか。「よし、1日でこのギャラ使っちまえ」と思ったのだが、とんで もなかった。チェコビールは美味いネエなどと話に花を咲かせ、良い気分で会計をす ると、余りの安さに絶句。日本円で約2千円だった。


<再びプラハへ>
翌日は又プラハへ。余談だが、ウスティのホテルには3泊もしたせいか、懐かしさ を覚える。カルロビから戻った時も同じ部屋だったせいもあってか、手動のエレベー ターが何故か嬉しかった。思わず「ただいま」と言うと、隣の部屋から「おかえり」 という声が返ってきた。プラハへ行くと、本当に同じ国かと思うほど何もかもが違 う。ホテルは都会的で快適そのもの。しかし、物価も都会的で部屋のミニバーのビー ルは6百円もした。ウスティのホテルには冷蔵庫などと言う物は無かったが、バーで 売ってもらったビールは百円位だった。ウスティが懐かしかった。(ビールのせいだ けではない。ぜったいに!)時間の前後関係の記憶が無いのだが、ドヴォルザークの墓(写真⑨)とスメタ ナの墓(写真⑩)にお参りした。近くの売店で買い物をしているとレジの横のパ ンフレットに目が行った。「3ドル払って、100ドル得する・・・」「んっ!何故 読めるのだ?」気が付くと日本語だった。聞くと無料だと言う。日本語と英語でカ ラー写真入り100ページものガイドブックだった(写真⑪)。「ピルゼン」レストランにて昼食後、国民劇場にてオペラ鑑賞。久々のオペラ鑑賞 は嬉しかった。言葉は解らないが、事前の説明と単純な内容だったので楽しめた。悪 魔が悪巧みするが、主人公の女性のあまりのオシャベリに遂には退散すると言った内 容だ。小中学生くらいの子供達が結構いて(内容にもよるだろうが)オペラを楽しん でいるのが印象的だった。夜のレストランでは今仲団長持参の醤油のお陰でとてもおいしい夕食となった。

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写真⑨ドヴォルザークの墓前で
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写真⑩今仲団長とスメタナの墓前で
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写真⑪ガイドブック(無料)


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写真⑬昔のガラス工場の様子
<プラチスラバへ>
翌日は、ブルノでガラス工場を見学(写真⑫)。昔ながらの工場と言う感じだ が(写真⑬パンフレットより。)、職人達が見学者に対してとても誇らしげにし ているのが印象的だった。 さて、いよいよスロバキアへ行くわけだが、国境で通関手続きに大変な時間がか かってしまった。その日の夜にコンサートなので気が気ではない。着くなり一息つく 間もなく、リハーサルもそこそこに(もちろん太鼓のリハは無し)開演時間が迫る。 巡業ではよくある事だが。 教会でのコンサートはフィンランドでも経験したが、ここの教会はあまり響きすぎ ず、チェコでの演奏よりもずっとやりやすかった(写真⑭)(写真⑮前列中央。 )打ち上げのパーティもとても楽しい雰囲気で、たまたま来ていた日本人とその 知り合いのスロバキアのヴァイオリンの先生も参加し(この先生もとても感じの良い 方でした)、ダンスと歌で盛り上がった。とくに「おお牧場は緑」では日本語とスロ バキア語の大合唱。「これは、私達の歌ですよ。」と(この英語はちゃんと聞き取れ た)話し掛けられ、「日本人なら誰でも歌える」と(もちろん英語で)答えると、と ても喜んでくれた。
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写真⑭教会で「雷槌」を演奏
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写真⑮司教様を囲んで記念写真

<ウィーンへ>
翌日は、午前中デビン城見学、市内散策(写真⑯⑰)。昼食後、バスにて ウィーンへ向かう。スロバキアは1日目があまりにも慌しかったので、もう少しゆっ くりしたかった。とても(人が)いい所だと感じた。 ウィーンでは国立劇場で「魔笛」を鑑賞。オペラを経験した者にとっては憧れの劇 場であり、そこで「魔笛」を観る事が出来るとは。 色々書きたいことは有るのだけれども、市内を歩いていて面白かったのは、自転車 道が車道や歩道と別に確保されていること。狭い道では自転車道が一方通行になって いた(写真⑱)。


<日本へ>

翌日は、フランクフルト経由で成田へ。駆け足の旅行だったが、とてもこのような スペースでは語り尽くせない程の経験をさせていただきました。実は、この旅行には 車椅子の方が参加していました。メンバーがサポートして移動するのですが、坂道や 石畳が多くとても大変でした。リフトバスなどと言う物も無く、背が高く入り口の狭 いバスに乗り降りするのは特に大変。でも運転手がとても親切に彼女を抱えて乗り降 りの手伝いをしてくれたのです。ウィーンはとても進んだ都市でしたが、運転手は 「それは私の仕事ではない」と言いました。日本もバリアフリーが叫ばれ、色々な設 備が整えられてきています。しかし「心のバリアフリー」が一番大切なのではないか と考えさせられました
いよいよ、成田へ。

この忙しい時期に10日間も留守にした後には、スケジュール地獄の夏が待ってい たのでした!・・・・・


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写真⑯こんな所にこんな物が
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写真⑰絵葉書より>
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写真⑱狭い道では自転車も一方通行

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